カサンドラ症候群の妻を追い詰めるのは「誰にも理解されない」こと!
夫がアスペルガー+ADHDじゃないか?と疑い始めてから、少しずつ大人の発達障害に関する本やサイトを読み始めました。
認めてあげることが大事。
理解してあげることが大事。
寄り添ってあげることが大事。
いろんなことが書かれてありましたが、じゃあ身近にいるカサンドラ症候群で悩む人をいったい誰が理解してくれるの?
カサンドラ症候群の妻が別居や離婚を選ぶことって、無責任なことなんじゃないんだよ!
誰かわかって…そんな心の叫びを吐き出せないあなたの気持ち、痛いほどわかります。
カサンドラ症候群の悩みってなかなか理解されない
私は夫に対する正体不明の違和感を感じ始めていたけど、原因が大人の発達障害だとはわからなかったとき。
私のモヤモヤがたまりにたまって爆発寸前まできたとき。
「誰かに聞いてほしい!」
と思って、10年以上続けているプライベートなブログに書き綴ったんです。
それは子どもの成長や、普段の生活について書いていた日記のようなブログ。
私の友人がそのブログを読んでいろんなコメントをくれました。
それは予想の範囲内です。
私はその中に何かヒントが得られないかな?っていう期待も込めていました。
しかし、やっぱり期待外れ。
ほとんどが一般論なんですよね。
「男ってそんなもんよ」
「うちも同じだよ~」
とか。
発達障害やその疑いがある人と一緒に生活をしたことがない人が読めば、単なる夫婦の愚痴にしか聞こえません。
その奥にどれだけ深い悩みが潜んでいるのか。
きれいごとではとても片付けられない、まるで毛糸がごちゃごちゃに絡まったような感じの心の中。
それって、やっぱり経験した人にしかわからないんです。
または、そういう知識を持っている人。
カサンドラ妻に共感してくれた数人の友達
その後、夫はアスペルガー+ADHDじゃないか?とほぼ確信してから気持ちをつぶやいてみると、カサンドラ妻の気持ちに共感してくれた人が数人いました。
一人は職場にアスペルガーの同僚がいて、自分の息子も発達障害の疑いがあるということで、対応の仕方に悩んでいろいろ勉強してた友達。
あとは、仕事や家族を通して、発達障害の知識があった人。
そして、私が
と言ったときにすぐにそれらについて調べまくって理解してくれた友達。
わかってくれる人がいた!
と思ったら、それだけでもずいぶん心が軽くなりました。
それからは理解してくれる友人にだけ相談をするようにしました。
話をきいてもらえるだけでも嬉しかったんだけど
「それは、今まで辛かったね・・・」
「自分を追い詰めないようにね」
「もうここまで頑張ったから別れていいよ」
「一緒にいていい父親とそうでない父親がいるからね、父親がいなくてもお母さんと子どもたちがハッピーな方を選んだ方がいいよ」
こんな言葉をかけてもらって、本当に本当に救われました。
私は一人じゃないんだな、もう一人で苦しまなくていいんだなって思うと涙がこぼれそうになりました。
カサンドラ症候群の妻が別居や離婚を選ぶこと
一般論では別居や離婚に対して、決して良いイメージはありません。
ましてや小さい子どもがいるとなればなおさらです。
「せめて子どもが大きくなるまでもうちょっと我慢できないの?」
「生涯をともにしたいと思って結婚したんでしょ?」
「そんな簡単に別れていいの?」
さらに「発達障害」について理解していない人は
「障害のある旦那さんを捨てるの?」
なんて言ったりもします。
カサンドラ症候群に陥りやすい人って、責任感が強いから、一度やり始めたことを途中で投げ出すなんて大嫌い!っていう人が多いんです。
だから、本心では子どももいるのに別居や離婚するなんてとんでもない!って思ってます。
しかし、現実はそうではないんです。
そんなきれいごととか正義とかで片付けられるような問題ではないんです。
うちは特にアスペルガー夫の息子の発達障害(疑い)に対する無理解と、キレやすいという特性から、殴り合いにまで発展しています。
子どもたちが父親と離れることを望んでいます。
私もこのまま家族を続けていくために頑張るのは、もう限界というところまで来ています。
そして、いくら発達障害のことを理解しても、未来の見えない夫と死ぬまで連れ添っていく気力が全く湧いてきません。
心が擦り減ってしまったんです。
エネルギーを吸い取られてしまったんです。
子どもたちのためなら何でもできる。
でも夫のためには・・・無理なんです。
これはワガママではないんです。
カサンドラ妻とその子どもたちが、笑顔で生き延びるための唯一の方法なんです。
さいごに
専門家でも解明は難しいって聞くし、日本はまだまだ専門医も少ないって聞きます。
専門家でも難しいことを一般人が理解するのはもっと難しいでしょう。
でも、こういうことで悩んでいる人がいるっていうことを、少しでも多くの人に知ってもらいたいです。
身近な人が私と同じように苦しんでいるかもしれない。
話を聞いもらえて、共感してもらえるだけでも、ずいぶん救われるんですから。