カサンドラ妻は辛い?寂しい?むなしい?
アスペルガーなど発達障害の特性を持つパートナー(うちの場合は夫)と一緒に生活をしていると、「話が通じない」「気持ちが分かり合えない」ということが日常生活の中で頻繁に起こります。
それがストレスとなって、心身に影響を及ぼすのがカサンドラ症候群なんですね。
私は自分が「カサンドラ症候群っぽい!」と気づいたのがつい数か月前。
これまでずっとモヤモヤしていた気持ちを振り返ってみたいと思います。
カサンドラ症候群って?
カサンドラ症候群というのは発達障害(アスペルガーなど)の夫または妻(orパートナーor身近な人)と「情緒的な関係が築けない」ということが原因で、配偶者やパートナーに現れる心身的な症状のことを言います。
うちの場合は発達障害(アスペルガー+ADHDの疑い)な夫とカサンドラ妻。
というパターンもあるようです。
家族、特に夫婦でそんな関係になるとキツイ…
毎日顔を合わせるし、子育てのこと、家計のこと、将来のこと、たくさんの人生における大事なことを夫婦で話し合って解決していかなければならないのに、それがまともにできないんです。
- 何を言ってもわかってもらえない。
- 私の話を聞いているのかどうかもわからない。
- 決定権はいつも私に丸投げ。
- 嬉しいこと、悲しいことを共感できない。
夫の意味不明な言動や表情の数々を目の当たりにして、それがまた結婚前と大きく違ってきたことに対して、私はずっと何とも言えない不安やモヤモヤやイライラを抱えながらこの10年を過ごしてきました。
夫との情緒的交流がうまくいかない妻は、何が何だか理由がわからないけど苦しい、周囲は苦しんでいることを理解してくれないという二重の苦しみの状態にある。(Wikipediaより)
まさにこの通りだったんですね。
やっぱり変!と確信したとき
何かがおかしい、何かがかみ合っていない…ということは無意識のうちにずっと感じていたのは確かです。
でもそれがいったい何なのかをうまく表現できない。
おまけに子育てや家事に仕事に、毎日ドタバタでがむしゃらだったから、とことん探って解決するような暇もなかったんです。
でも、こんな気持ちでい続ける結婚生活が「やっぱり変だ」と実感したのは親戚の集まりに参加した時だったと思います。
毎年お盆には母方の親戚一同が我が家へ集まって、飲んで食べて、近況を報告しあって楽しく過ごす、というのが恒例になっています。
私も中国にいたときから、なるべく夏は子どもたちを連れて帰省し、その集まりに参加するようにしていたんです。
みんなそれぞれ家庭があって、もちろんその家族も一緒に参加します。
そして、それぞれの家庭でのエピソードを面白おかしく、時には涙しながら話すわけです。
その日は夫婦間の話で盛り上がっていました。
「ところで、あなたのところは最近どう?何か面白いエピソードないの?」
って叔父さんに聞かれたときに、何も思い浮かばなかったんですね。
いろいろと考えを巡らせて、必死に思い出そうとしました。
しかし、いくら考えても夫婦のエピソードというのが思いつかなかったんです。
その時は「いや、特に何事もなく平和に過ごしてるよ~」なんて言ってごまかしたんですが、その時に
「うちってやっぱり何か変?」
ってはっきり感じたのを覚えています。
カサンドラ妻は辛い?寂しい?むなしい?
私は一時期「夫に嫌われてるんじゃないか?」って不安に思ったことがあります。
夫は気が付いたら寝ても覚めてもスマホ漬け、私と二人でいてもスマホばっかり見て、私と話そうとしなかったからです。
私は「この人にいったいどんな話をしたら、会話をしてくれるんだろう?」って考えました。
でも、共通の趣味も特にないし、子どものことを話せばそれなりに聞いてはくれるけど、肝心なところは私に丸投げで話が発展しないんです。
私はもともとそんなにおしゃべりではなく、できれば静かに過ごしたいと思うことが多いんですが、それでも一緒に暮らす夫とは雑談ぐらいしたかったんですよね。
でも、雑談すらうまくいかない、疲れる、という気持ちがずっとありました。
こんな態度でずっと接してこられると、やっぱり
「私はこの人に嫌われてるんじゃないか?必要とされていないんじゃないか?」
って不安になるんですよね。
そして私の思考回路は昔から決まって
「じゃあ、この人に嫌われないようにするにはどうしたらいいか?」
って必死になってしまうんです。
過去の失敗した恋愛も全部そう。
相手に嫌われたくがないために、あれこれ本当の自分じゃないところまで演出したりして頑張りすぎた結果、相手に嫌がられるという…苦笑
当時、夫に対して文句を言ったりすることは全くありませんでした。
そういうことはすべて我慢して飲み込まなきゃ!って思いこんでたんです。
それが妻としての役目だ、それが結婚生活というものだって。
しかし、あまりにもこういうことが続くと、私だって小言も言いたくなります。
特に子育てに関しては共通の認識を持ってやりたかった。
なので、スマホで子守をすることや、無意味に大量のお菓子や高価なおもちゃを買い与えることには意見を言ってきました。
しかし、その思いが通じない、わかってもらえない。
その小さな積み重ねで、私は何とも言えない寂しさやむなしさを感じていたんだと思います。
でも第二子、第三子を作ろうと話し合って決めて、妊娠したときは
「少しは私のこと大事に思ってくれてるんだ」
って期待を持ったこともありました。
だけど
妊娠中に貧血で倒れても気づいてもらえない。
つわりでげーげー吐いても、優しい言葉の一つもかけてもらえない。
フラフラでガラス瓶を落として割っても、片づけを手伝ってもらえない。
今思えば、普通に人としてあり得ないような対応をたくさんされてきたんだな…って涙がこぼれそうになります。
そのくせ、人前ではいい夫、いい父親を演じるもんだから、周りからの評判は良い。
中国では珍しい子だくさんで、「それを一人の稼ぎでやりくりしている」という自慢気な態度をアピールして、周りからは羨ましがられる。
私はこの人にとってどんな存在なの?
この人には私が見えているの?
この人にとって私は大事じゃないの?
そんな思いがずっとずっと心の中にあったんです。
でもそれに気づくのが怖くて、ずっとずっと知らないふりをして過ごしてきました。
そんな気づかないふりしてきた思いが、心身への症状となって表れたときは、もう遅かった…すでに修復不可能な段階まで達していたんですね。
さいごに
カサンドラ妻は辛い、寂しい、むなしい…いったいどんな言葉で表現したらしっくりくるのか、わかりません。
私の場合はずっとわけのわからないモヤモヤ、正体不明の違和感といった感じでしたが、こういった本に出会えたことで原因がはっきりしました。
我が家と同じ組み合わせ!
旦那さんがアスペルガー、奥さんがカサンドラなご家庭のエピソード。
漫画だったこともあってすごく読みやすく、共感できる部分が多かったので、この本を初めて読んだとき
「やっとわかってくれる人に出会えた!!!」
「こういうことだったんだ!!!」
って心がすーっとしたんです。
アスペルガーの特徴やタイプも、カサンドラ症候群の症状も、本当に人それぞれだと思います。
それはどっちがキツイとか、どっちが辛いとか、絶対に比べられないし、周りがどうこう言う問題でもありません。
「私ってカサンドラ症候群?」って思っている人、悩み苦しんでいる人がいちばん求めているのは周りの共感や理解だと思います。
何もコメントせずにただ話を聞いてもらえる。
それだけでも救われることが多いです。
簡単に解決できる問題じゃないっていうことは、本人もよくわかっています。
だけど、誰かに聞いてほしい、誰かにわかってほしい。
そういう思いでカサンドラ妻は苦しんでいるんです。